Sugar(@Sugarrrrrrrock)です。
前回に続いて、音楽の聴き方、選び方に関しての記事第2弾です。
今回のテーマは、今の時代における「CD」の価値について。
邦ロック好き大学生の音楽の聴き方〜CDもYouTubeも定額配信もフル活用すべき! – SUGAROCK-FESTIVAL
前回の記事でも触れましたが、今では音楽の聴き方が多様化しています。
ですが、以前はCDの一極化だった時代もあったわけで、当時と比べたらCDのシェアは大きく減っているのも事実です。
その大きな理由として考えられるのは、お金がかかるからです。ちょっと悲しい理由ですけどね。。。
今では月1000円払えば数百万曲が聴き放題なのに、CDだとシングル盤でも3曲入りで1200円とかしますからね。コストパフォーマンスの面では雲泥の差です。
www.fuze.dj
こちらのFUZZさんの記事を読んだところ、海外ではCDショップなんてものはほとんど無くなってしまった国も多く、まだCD文化が強く根付いているのは日本ぐらいだそうです。
この流れでCDは日本でも過去のものとなってしまうのでしょうか。
僕なりの意見を以下に書き連ねてみました。
CDには「視覚的」な価値がある
YouTubeと定額配信という並びで比べると、CDにはアナログ的な良さがあるのかと思いますが、
CDとはいえPCにインポートして音楽プレイヤーで聴くのが主流なので、結果的には音源は読み込まれたデータに過ぎません。
つまりは音源を取り入れるためにあの穴の空いた円盤の形をした物体としてのCDである必要性って今となっては無いんですよね。
考えてみれば代わりとなる手段もあるわけで、
USBメモリだったり、音源がダウンロードできるURLだったり。
手に入れられるのは同じ音源なのだから、これらの方が便利で無駄が無いと思います。
ただ、実際にUSBあるいはURLの書かれた紙切れと一緒にジャケット、歌詞カード、特典がパッケージされて販売されるとしたら、
更にはジャケットすらもダウンロードしてネットで手に入れるような未来を想像してみたらどうでしょう?
・・・・・
なんか味気ないですよね。
今みたいに、 目に見えて形がある、あの丸い円盤による視覚的な要素ってなんだかんだ重要なんじゃないかと思います。
電子書籍が普及しても紙の本を好んで読む方がいるのと同じです。
アーティストが思考を凝らしたジャケットが描かれた、あの四角いプラスチックのケースを手に取ってレジに向かう時の感覚、
円盤を丁寧にケースから外して音源を読み込む時の感覚、
目で見て手で触れないと味わえない感覚って今でも少なからず必要とされているのではないでしょうか。
CDを買うかでアーティストに対する本気度が測られる時代に
以前は音源が再生出来るCDそのものにも価値がありましたが、今となっては音源自体は他の媒体で聴ける環境が十分備わっていますよね。
だから現在では正直CDそのものに価値を見出して買っている方はあまりいないと思います。
それよりCDに付帯するグッズやライブDVD、チケット先行予約の権利に価値を見出してCDを買っているし、売り出す方もそれを頼りにするようになりました。
一番有名なのはAKBグループのいわゆる握手会商法ってやつです。
今ではほとんどのアーティストがそれに似たような方法を取り入れないとCDが売れない時代になってしまったんですね。
これって言ってしまえば会費を払って特典を手に入れるファンクラブの小型バージョンだと思うんですよ。
つまり、CDを買いたいと思うかどうかがそのアーティストに対する愛情や期待の度合いとほぼ一致する。
CDを買ったらそのアーティストがホントに好きだという証になる。
特典で握手会やライブに参加することが出来ればリアルな体験にもつながる。
こう考えると良い意味でCDの重みを感じますね。
昔よりも今の方がCDを買うというアクションがリスナーとアーティストを強く結びつけているような気がします。
まとめ
なんか上手くまとまった気がしませんが、僕の結論としては、
「音源だけに価値を見出すのは難しいけど、ジャケットや歌詞カードなどのビジュアル的な要素に、リアルな体験に繋がる特典を付帯させることでCDにもまだまだ価値を見出して欲しい」
ということになります。
これだけCD市場がまだ残っているのは日本ぐらいだし、僕がこのように考えるのも日本人独特の感覚なのかもしれませんね。
まぁ今後しばらくCDはまだまだ現役でい続けるとは思います。
インディーズレーベルだとまだまだ音源のデジタル配信が間に合ってないし、なんだかんだお世話にならないとお互い困りますからね。
これからも出来るだけ長い付き合いが出来れば良いなと思っております。
最後に最近手に取って良かったCDを紹介して終わります。
BIGMAMA「DOPELAND」は音楽と文学が結びついた名”作品”だった – SUGAROCK-FESTIVAL